ヌーソロジーから読み解く「奥行きの世界認識」

ヌーソロジーとは

皆さんは「ヌーソロジー」という学問をご存知でしょうか?

ヌーソロジーは、宇宙哲学のようなもので、公式サイトによると、「神的知性に関する学」だそうです。

神的知性とは、宇宙を創造する神の知性、あるいは神の思考とでも言えるでしょうが、ヌーソロジーはまさに、私たち人間がいかに神的知性を獲得して宇宙を正しく認識し、かつ創造性を発揮していけるかを哲学的および科学的な両面からアプローチしていく、そんな斬新な学問のようです。

ちなみにヌーソロジーのおおもととなるアイデアは、冥王星のオコツトという存在からのチャネリングだそうです。

そんなヌーソロジーは空間認識をとても大事にしており、その中に「幅の世界認識」と「奥行きの世界認識」という概念があります。この内容を知った時、とても大きな気づきがあったので、今日は私なりに紹介したいと思います。

幅と奥行き

私たちが「過去・現在・未来」を表現するとき、その多くは左から右に向かって1本の線を引いて左が過去、真ん中が現在、右が未来になります。

図にすると下の通りです。

簡単に言うと、これが「幅の世界認識」です。これは右に過去を持ってきても、線を縦にしたり斜めにしても、幅の世界認識に変わりありません。

そして問題は、私たちは大部分、幅の世界認識の中でのみ生きているということです。それ故ヌーソロジーでは、この幅の世界認識から「奥行きの世界認識」へ反転しようと言います。

奥行きの世界認識は、私から前に向かって伸びて行く方向で、線ではなく『点』で世界を捉えます。

世界を「線(幅)」で捉えようが、「点(奥行き)」で捉えようが、自分と何の関係があるのか?と思われる方もいるかも知れませんが、線として捉えるのか、それとも点として捉えるのかによって、私たちの住む世界が全く変わってくると言っても過言ではありません。

幅の世界認識

さて、幅の世界認識を具体的に見ていくと、たとえばAさんとBさん、そして私であるCさんがいるとします。Cさん(私)から見たときに、幅の世界認識で言うと、AさんとBさんは横(幅)に位置します。

すると、Aさんは好きだけど、Bさんは嫌いなどというような比較の認識が働きます。これはAさんからBさんとCさんを見ても、BさんからAさんとCさんを見ても同様です。

つまり、幅の世界認識の中にいる限り、他者との比較は勿論、私の真実の世界と貴方の真実の世界は互いに異なるので争いが生まれるのです。

宗教の世界で、私の神と貴方の神は違うと争っているようなものです。ある意味、同じ時空に存在しながら、各自全く別の世界を形成しているので、AさんとBさんとCさんが本当の意味で交わることはないのです。

これは「生きる世界軸」が各自異なるともいえます。

奥行きの世界認識

一方「奥行きの世界認識」に反転すれば、世界は一つと言う認識に至るかと思います。

勿論、「個」を放棄するわけではなく、より大事に感じられるようになるでしょうが、「私と貴方」の関係と「私と宇宙」の関係は同じ軸上にあるという気づきに至ります。

つまり、奥行きの世界認識から見ると、AさんとBさんが別個に存在するのではなく、「私とAさん」「私とBさん」というように、どこまでも「一対一(ツイン)」の関係で、さらに言うと、「私とAさん」「私とBさん」そして「私と宇宙」という関係は全て同じでなのです。

私から見た時にAさんもBさんも宇宙も同じ「奥行きの世界(軸)上」に存在しており、これは、私から見たときだけでなく、Aさんから見てもBさんから見ても同じように、宇宙と同じ一つの軸の上で生きているということになります。

それ故、幅の世界認識に生きる人は、互いに争って他人に害を与えようとするかも知れませんが、奥行きの世界認識を軸として生きる人から見れば、他人を害するというのは私自身を、さらには宇宙を害する行為に他ならないのです。

この認識は私にとって、大きな気づきになりました。

とはいえ、私たちはまだまだ「幅の世界」で生きているので争いもあるでしょうし、悲しいニュースを聞かされることもあるでしょう。

しかし、もし多くの人が「奥行き」の世界にシフトすることができれば、その時世界は本当の意味で平和になるでしょう。

そのためには、サイパワー式にいえば、幅の世界しか認識できない肉体の目から、奥行きを認識できる魂の目へとその主軸をシフトする必要がありますね。

元記事:ヌーソロジーから読み解く「奥行きの世界認識」

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