自他の崩壊

前回、電子とニュートリノの関係に見るニュートリノは、「ニュートリノ化した電子」であることを見出しました。

負の電荷を持つ電子と、正の電荷を持つW⁺ボソンが融合して、電気的に中性なニュートリノになるのでした。

このように電子が、電気的に中性なニュートリノに崩壊することを、ヌーソロジーの概念では「位置の中和」といい、ニュートリノは「中和した電子」とも考えることができました。

また、自己と他者の関係性で見ると、大部分、その関係が転倒しているため、自己が他者化しているということでした。つまり、わたしたちの多くが、自分と信じているのは《他者化した自己》のニュートリノであり、「中和した自己」ということでした。

 

一方、《他者化した自己》から見る他者は何かというと、それは《自己化した他者》、または「中和した他者」になるかと思います。自己に崩壊した他者です。

ところで、この「中和した他者」は、心理学で言う「投影」に似ているかもしれません。

心理学における投影とは、

自己のとある衝動や資質を
認めたくないとき(否認)、
自分自身を守るため(防衛機制)
それを認める代わりに、

他の人間に
その悪い面を押し付けてしまう
(帰属させる)ような心の働きをいう。

たとえば
「私は彼を憎んでいる」は
「彼は私を憎んでいる」に置き換わる。

引用:Wikipedia – 投影

端的に言うと、自身のイメージを他者に投影することで《他者が自己化》し、これが「中和した他者」と言えるかと思います。

結局、私たちの多くは、他者そのものではなく、自身が無意識に作り上げた<イメージ>を他者に投影して(重ね合わせて)見ているに過ぎないということでもあります。

そして、実は、Wボソンの候補となりうるのが、この<イメージ>です。

 

電子とニュートリノは、Wボソンを交換することで、電子はニュートリノに、ニュートリノは電子に崩壊しました。

同様に、自己と他者が、意識空間上でWボソンを交換することで、自己が他者化したり、他者が自己化すると考えられ、つまり<イメージ>の交換によってこのような現象が起こるのではないかということです。

たとえば、先の引用に

「私は彼を憎んでいる」は
「彼は私を憎んでいる」に置き換わる。

という内容がありました。

「私は彼を憎んでいる」は、《自己の他者化》に該当します。彼から何らかの<イメージ>を受け取ることで、彼への憎しみが生じ、その憎しみが私を占領して他者化している状態です。

一方「彼は私を憎んでいる」は、私の憎しみを彼に投影しているわけですが、これは《他者の自己化》に該当します。彼への憎しみという<イメージ>を、彼に投げ返す(投影する)ことで、他者が自己に崩壊しているわけです。

<前のページに戻る 次のページに進む>