素粒子構造に見る「真の自己」とは

前々回の記事で、思考場とそこに現れる思考の差異を認識することを昔の人は悟りや解脱といい、また、現れては消えて行く思考を私たちは普通「自己」と認識しているが、「真の自己」は、その思考を生み出す母胎ともいえる思考場、すなわち「真空」であるという話をしました。

真の自己は、現れては消えて行くそんな儚いものではなく、ある意味絶対的な存在なのです。ただ、私たちの多くは、その儚く消えゆくものを絶対的なものだと信じ、掴んで放そうとしないのです。ここに人間の過ちがあるとも言えるかも知れません。

 

さて、今回から数回に分けて、思考場と思考の差異、また「真の自己」について、素粒子構造を通じて詳しく見ていきます。が、先に結論を言うと、真の自己は、素粒子構造でいう「原子内の電子」と考えることができ、その理由を見ていきたいと思います。

もとはヌーソロジーのアイデアですが、私なりになぜ真の自己が原子内の電子なのか説明していきます。

*なおヌーソロジーでは「自己」を「電子(Ψ5)」と表現し、私の知る限り、原子内の電子と原子外の自由電子の区別はしていないかと思いますが、もしかしたらその違いはψ5の顕在化と潜在化に該当するかもしれません。その他ヌーソロジーの捉え方とは異なる点があるかも知れませんが、ご了承ください。

 

目に見える物質を細かく細かく砕いて行くと、いずれ「原子(アトム)」に行きつきます。原子は、これ以上分割不可能な物質の最小単位として付けられた名前でしたが、科学の発達により、原子もまた、-(負)の電荷を持つ「電子」と、+(正)の電荷を持つ「原子核」で構成されていることが分かりました。

原子核についてはいずれ説明するとして、「電子」は上図のとおり、原子核の周りを回る、これ以上分割不可能な負電荷の素粒子のことをいいます。

ところで、上図は電子2個、陽子2個(中性子2個)のヘリウム原子を表したものなのですが、もう少しシンプルに、電子1個、陽子1個の水素原子を見ていきたいと思います。

上図を見ると、K殻とL殻と書かれた円があります。正確な描写ではありませんが、ひとまずその円上を電子が回っているとイメージすると、そのうち原子核から一番近い<K殻>の円上を、科学は「基底状態」と呼びます。

なぜ原子核に一番近いK殻が基底状態なのかは私も説明できませんが、基底状態とは、エネルギーが最も低い落ち着いた状態をいいます。波一つない湖面のような状態で、言ってみれば真空です。

そして、電子は安定を求め基底状態に留まろうとする性質があります。

しかし、外部から光(エネルギー)が与えられると、そのエネルギーを吸収して、下図のように外側のL殻に飛び移ります。

K殻がエネルギーの低い基底状態だとすれば、その外側のL殻は、それよりもエネルギーの高い励起状態になります。つまり基底状態の電子は、外部から光(エネルギー)を吸収することで、外側に飛び移り、励起した状態となるのです。

しかし、先述のとおり、電子は安定を求めて基底状態に留まろうとする、言い換えると、基底状態に戻ろうとする性質があるため、励起状態の電子は、今度は光(エネルギー)を放出して、下図のように、すかさず基底状態へと飛び移ります。

このように電子が基底状態から励起状態に、あるいは励起状態から基底状態に飛び移ることを電子の「遷移」といいます。

なお図では、基底状態のK殻と励起状態のL殻の二つしかありませんが、実際には、L殻の外側にもよりエネルギーが高いM殻、N殻、O殻・・・と、何層か続きます。

ですから、K殻からL殻に遷移するよりも、その外側のM殻に遷移するときの方がエネルギーを必要とするでしょうし、逆に、L殻からK殻に遷移するよりも、その外側のM殻からK殻に遷移するときの方が大きなエネルギーを放出することになりますね。

 

また、このような現象もあります。それは、外部から光(エネルギー)を吸収することで、励起状態ではなく、電離状態へ遷移するというものです。エネルギーを得た電子が水素原子から電離し、陽イオンと自由電子に分かれるのです。反対に、陽イオンと自由電子が再び結びつく再結合という現象もあります。

励起状態への遷移と、電離状態への遷移の違いは、外部からの光(エネルギー)の質の差のようなのですが、私もまだ詳しく説明することができませんので今後の課題として、とにかくまずは、原子内での遷移と、原子内外での遷移があるということを知って下さい。

これが、真の自己が原子内の電子だと言うアイデアを理解するための、第一段階になります。

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